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2015-08-02

伊東豊雄インタビュー-1

4年近く前に電子ブックのために伊東豊雄さんにロングインタビューをしました。いまこの電子ブックが残念ながら入手できないので、文字だけですが4回に分けてアップします。電子ブックでは、建築写真のほかに伊東事務所からお借りした図面やスケッチなども多数掲載しました。

インタビューでは、2011年に竣工したスティールハットに始まり、シルバーハット、さらに、2011年当時、伊東さんがどのような建築を目指していたのか、建築と社会の間の回路などについて語られています。

 

 
伊東豊雄建築ミュージアム――スティールハット
――伊東さんご自身の名前を冠したミュージアムをつくることになった経緯からまずうかがいたいのですが。

伊東豊雄 すぐ近くに《ところミュージアム大三島》という美術館があって、所さんという元実業家の方が、自分のコレクションをそこで展示されているのですが、そのアネックスをつくりたいということで設計を依頼されたのが始まりです。それが2004年のことで、最初は、ところミュージアムに隣接した敷地で設計をしていました。ところが、あの島は大三島町という町だったのですが、合併されて今治市になり、その過程で設計が1年から1年半ぐらい止まったのです。その間に、所さんとはいろいろなお話をしていて、いずれ若い建築家を養成するような仕事をやってみたいというようなことや、くまもとアートポリスの話などをしましたら、それをここでやったらいいじゃないかという話になったのです。最初はところミュージアムをお借りしてやるのかなと思っていたのですが、いつのまにか、自分のミュージアムではなくてあなたのミュージアムにしなさいと言われ、かつ、今治市がかなりその話に前向きになり、私としてもお引き受けすることになったという経緯があります。

――ご自身のミュージアムをもつということに関してはどう思われましたか。

伊東 今治は丹下健三さんの出身地ですし、大三島はそれまで訪れたことのない島でしたので、たいへん面映ゆいというか、自分のミュージアムなんかできてしまうとちょっと困るなあという気持ちのほうが強かったですね。

もともと所さんが町に1億円を寄付されて、完成した暁には町が運営するという条件で始まったプロジェクトですが、こういうお話はそうあることではないので、ありがたいと思って、最終的にはやらせていただくことになったのです。

――建築家を養成するという今のお話はそのまま伊東建築塾へとつながるわけですね。

伊東 塾をやることからミュージアムの話が決まったのですが、あそこで年中ワークショップをやるわけにもなかなかいかないので、東京でも同時に伊東塾を立ち上げ、両方合わせて活動をやっていこうと思ったのです。

――《スティールハット》は《オスロ市ダイクマン中央図書館コンペ案》が元になっていますが、図書館だったものを規模を縮小して展示スペースへと変えた際に大きく変更されたのはどのようなところでしょうか。

伊東 ミュージアムのデザインは時間も十分あったので、いろんなスタディをしました。今治造船があるということもあって、スティールを使ってやりたいということは、ある時点から固まっていたのですが、当初はもっと流動的な、各務原(《瞑想の森 市営斎場》)の屋根をそのままスティールに置き換えたみたいなイメージでした。ところが、どうもシルエットがしっくりこないで、これでいいと納得できなかったんです。ちょうどそんな時期に、オスロのコンペがあり、オスロで提案した多面体を使ってやってみようかと思ったのです。それで模型をつくってみたら、いけるんじゃないかと。

あの立体の難しいところは、3つの多面体を組み合わせているのですが、1辺のスケールを決めると同時にすべてが決まってしまう。高さ方向も決まってしまうので、スティールハットの場合には、高さを最低限、天井に頭がつかえない程度の2.2mとしましたが、それを決めると自ずから1辺が3mに決まる。オスロのときは6mだったので、半分になっているのです。

――オスロの場合は建築群のようにも感じられる規模のものでしたが、スティールハットのほうは立体自体の数も減り規模も縮小されたことで、巨大な現代彫刻のような印象も受けます。

伊東 あの敷地で道路側に立つとちょうど海の正面に夕日が沈む。それで逆光のシルエットというイメージがいつもありました。しかし、初期のスタディでは屋根のシルエットがもうひとつだなあというふうに思っていて、それが多面体を組み合わせたときに、垂直性が強くなりましたが、シルエットがはっきりしていていいなと。そこで、自分では納得してこれでやろうと思いきることができました。

スティールハットでは、まずエントランスホールのいちばん大きなユニットがあって、それから展示室が3つ続きます。さらに、3つの多面体を縦に重ねた、垂直性の強いサロンと呼んでいる空間があります。オスロの時は本の街というコンセプトでしたから、《せんだいメディアテーク》とか《多摩美術大学図書館》などとは違って、立体の1個1個はそれぞれ家の中で本を読んでいるような空間になっていて、そういうものが集まって本の街ができているという案だったのです。ですからスティールハットも、限られた数ですけれどもそういう独立性の高い多面体を並べて展示をしようというコンセプトだったのです。

ただ、できあがったものは、おっしゃる通り、非常に彫刻的と言いますか、モニュメント的な性格が強いですね。

スティールハットの展示
――内部のスペースではそれぞれどのような展示がなされているのでしょうか。

伊東 震災ということもあって、「新たなる船出」というタイトルを付けました。今治市は港湾都市で、港湾の再生に力を入れているので、今治の、新しい船出だという意味もありますが、この震災にあって、日本全体が、もう一度、アイデンティティを考え直さなければならない再出発の時期でもある。さらにまた、せんだいメディアテークも被災をして、10年運営されここでもう一度新しい航海に出る、そういったような意味が重なりあって「新たなる船出」というテーマになっています。

特に直接的なきっかけになったのはせんだいメディアテークで、最初の展示室はせんだいメディアテークがテーマになっていて、畠山直哉さんの写真が展示されています。あの方は陸前高田の出身ですが、せんだいでは、気仙沼の職人たちが鉄板の溶接をやってくれていたのですね。畠山さんはその気仙沼から遠洋漁業に出かける船をよく見送っていたこともあって、せんだいで鉄板を溶接している風景を見てこの建築がだんだん船のように思われてきたと書かれています。やがてせんだいメディアテークという船が出港していくんだなと。とてもいい文章ですが、メディアテークという船が10年の間航海をしてきたが、2カ月間ドック入りして、また新たに船出をするのです、というのが今回の展覧会のイントロダクションになっているのです。これに続く3つの展示室では、今まで僕らがつくってきた建築の抽象的なモデルを30個ぐらい並べて、それが瀬戸内海の島に置かれている。その島をめぐって歩くという展示のストーリーになっています。

この3つの展示室は天井も壁も床もぜんぶマリンブルーに塗られていて、そこに寝転がっていると海面にいるように感じられるのですが、その水面に、うちのスタッフも含めたさまざまな人の、建築って何だろう、という、建築の意味が書かれた短いメッセージが、約120、プリントをされています。

――壁が外へ内へとかなり傾いていますね。

伊東 僕らもなかなか想像がつかなくて、展示をどうしたらいいだろう、見づらくないのかとずいぶん心配しました。最初は、斜めの壁から水平の板をキャンティレバーで出してその上に模型を置くことを考えてはいたのですが、せっかく傾けた壁をもういちど水平垂直に戻してしまうのでは意味がないと思い、床も壁も天井も等価に扱って、ひとつの球体の内部にいるようなイメージですべてブルーに塗装し、壁に直接、模型を貼りつけるという展示にしました。

――訪れた方の反応はどうですか。

伊東 子供は、床にブイをかたどったクッションが置いてあることもあって、こちらが何も言わなくても寝転がって見てくれます。大人もそれを見て座り込んでけっこう長い時間見てくださいます。

スティールハットの施工で苦労したところ
――伊東さんの建築は従来とは違う建築を目指している分、施工も難度が高く構法とかも工夫されている場合が多いと思いますが、スティールハットで難しかったのはどのあたりでしょうか。

伊東 多面体の構造体は、佐々木睦朗さんにお願いしました。小さいですからほとんどスティールのフレームでできていて、下のほうの一部にだけコンクリートを使っています。外の鉄板はほとんど外壁で、構造的に効いてはいるのでしょうけれども、計算上は特に構造体としては考えられていません。この多面体ができるだけシャープにというか、鋭角に見えるようにということで、鉄板の平滑さとエッジのきれいな溶接をいちばん気にしていました。なかでもいちばん施工が難しかったのは、シングルラインだと互いの面がきれいにつながっていくのですが、厚みがあり、なおかつ壁と床の厚さが違っていたりすると、片側がうまくおさまらなくなってしまって、その処理は想像以上に難しかったですね。3方向とか4方向からラインが集まってくると、シングルラインであれば1点でかならずきれいに合いますが、それが合わなくなってくる。ですから、どうやってもうまくラインが合わないものを何とか見えがかりで処理したところが、よく見ていただくとあります。《トッズ表参道ビル》のときも同じようにコンクリートの壁が折れている部分は斜めにカットされるので非常に難しかったのですが、スティールハットでも同じようなことが起こりましたね。

――そのあたりは日本の施工精度の高さにかなり助けられましたか。

伊東 そうですね、海外では見られるようなものはできなかったかもしれないですね。

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