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2015-08-02

後藤武『ディテールの建築思考』

これも以前書いたもので、建築家の後藤武さんの著書の書評です。

 

以前、編集をしていた『DETAIL JAPAN』という雑誌には、タイトルにディテールという文字が入っていましたが、いわゆる建築の納まりだけを取り上げて紹介する、ということはしませんでした。ディテールが良くできているからといってその建築が素晴らしいとは限らないし、細部だけを注視して、全体を見ないというのは本末転倒だからです。

本書にも、タイトルにディテールという言葉が使われていますが、その対象は把手や目地から柱や壁、空中庭園までと幅広く、また、技術的な納まりの話を大きく踏み越えて、近代の建築家たちがその建築に遺した思考の痕跡をとても平易な言葉づかいで読み解いています。

たとえば、ミースの〈柱〉について。まずは、バルセロナ・パヴィリオンの柱のパララックス効果――柱群とその他の建築要素や外の風景とがかかわり合いながら、人が移動するにつれて生まれる目くるめくような効果――を指摘した後で、チューゲントハット邸のクロームメッキされた十字柱についてこう続けます。

「ミースは、物質的な構築の主題を一つ一つ生み出してはそれに解決を与えるというやり方をしているのではありますが、その物質的な構築そのものが、ディテールの水準においていわばくるりとひっくり返され、反転して物質のネガが提示されるという仕組みになっているようでもあります」

そしてまた、シーグラムビルの、四隅を欠き取られたコーナー柱については、建築のヒエラルキーの統合化を回避する方向性を与えているのだと……。

平易な言葉づかいで読み解いている、と書きましたが、正直、すいすいと楽に読み進められる本ではありません。取り上げられているミースやコルビュジエたちの建築には建築をめぐる彼らの深い思考が幾重にも折り畳まれているわけですから、それを著者の後藤さんとともに丹念に見ていかなくてはならない。逆に言うならば、「ですます」調の文体は、そうした建築思考の痕跡を読者がしっかりと辿ることができるように、読者へと負荷のかかりにくいものとして採用されたということになるでしょうか。

そして気軽に読み進められないのには他にも理由があるような気がします。本書に収められたテクストは、いずれも、後藤さんの実際の深い建築体験に根差して書かれているように思うのです。つまり、その深さがそれにふさわしい読書のスピードを要請している。

7、8年前に、『ジャン・ヌーヴェル 建築の新たなイマージュ』という『DETAIL JAPAN』の別冊号の取材でパリを訪れた時に、後藤さんとサヴォワ邸を訪れる機会がありました。この時に印象的だったのが、後藤さんの建築の体験の仕方です。わたしは、以前訪れた時と同様に、あちらこちらを見て回りながら写真を撮ったりしていたのですが、彼は、本書でも記述されている2階のテラスの、水平連続から持ち出されたテーブルのあたりで、視線のレベルをいろいろに変えて眺めながらしばらく同じ場所にとどまっていました。さらに、その水平連続窓を相手に手や腕を動かしてなにやら丹念に確認作業のようなことをしているようにも見えました。たぶん、スケールを確認するとともに、自らの身体にこの建築-体験を刷り込ませていたのではないでしょうか。

そう、建築に身体の次元で向き合うこと。建築のディスクールは、ともすると技術や表面的なデザインの話に偏りがちですが、建築には身体というそれとはまた別の次元がある。そして、前景化はしていないものの、本書には、この、身体という次元への理解と志向が全編に浸透しているように思えます。

書いているうちに、本の紹介からいささか逸脱しまいましたが、逸脱ついでに、最後に勝手な夢想を。次の本では、後藤さんには、ずばり身体のテーマを前へと押し出して書いていただけたらなあと思うのです……たとえば、〈建築的散歩〉あるいは〈パララックス効果〉については、微小知覚(ライプニッツ)と知覚‐記憶(ベルクソン)の話を接合して……どうでしょうか、後藤さん?

 

ディテールの建築思考|後藤武著|彰国社刊|2,310円

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